たまがわ No.156 2020.7.1
4/24

 りんどう食堂(旧塾食)の跡地にSTREAM Hall 2019が完成しました。特にこの新校舎に関わられた坂上直哉さん、梅園真咲さん、山田能資さんにお集まりいただいて鼎談を企画いたしましたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、残念ながら中止せざるを得なくなりました。そこで、皆さんからお仕事や玉川での思い出等について文書でお寄せいただきました。誌面の都合上、全文は学友会ホームページに掲載いたしました。(https://www/tamagawagakuyu.com)まで。坂上 直哉さん 高等部1965年卒ステンレスアーティスト「アートワーク空」を主宰、アーティストとして設計と建築空間におけるワークを開始。1995年「アートアソシエイツ八咫」を設立。外部とのネットワークによる恒久設置のアートワーク、展覧会企画・運営などを行なっている。仕事のこと 高等部を卒業し、呆然と空を眺めていた・・・。 卒業した時、社会と戦うための武器は何も持っていなかったし、何の準備もしてこなかった。卒業して具体的に何をしたいのか全く分からなかった。大学はどこも受験できず、ただただ体内にエネルギーが沸き立っている状態だった。 そのとき唯一分かっていたことは、自身、未だ何者でもないと言う事だった。いつの日か何者かに成り、時代を築く一翼になりたかった。 とりあえずライセンスをと、東京藝術大学絵画科油画に挑戦した。その時、初めてデッサンを描き油絵を描いた。全国から受験に来ている浪人生から見れば下手も下手、笑いものの絵からのスタートだった。代々木ゼミナールでは必死になって丸暗記の日々 → なぜか 幸運にもその年合格した! 藝大では3枚の油絵しか描かなかった。私は、私の時代と共に在る価値観からの表現技術を学びたかった。藝大には時代を切りひらく技術も思想も無く、私にとってはカラッポだった。人類学者レビューストロースの『悲しき熱帯』やクレジオの『愛する大地』などを耽読し、日々ジャズ喫茶でコルトレーンを聞き、ゴダール、ベルイマン、寺山修司たちの映画や演劇に浸り、上野の森に行く暇は無かった。当時のアメリカの現代絵画は実に“今”そのものでもあった。 藝大を卒業し、やはり呆然と空を眺めていた・・・。しかし、高等部時代と異なるのは、自分の実現したいことを松明に掲げるのを知っていた。 ・・・ステンレスで空間を飾りたい、ステンレスの光と共に在る絵の具を作りたい・・・ステンレスを製造している高炉メーカ、当時の新日鐵を始めとし、各社に研究玉川の新しい拠点STREAM Hall 2019よりチャペルを臨む  PHOTO by K. Kodachi4我ら玉川っ子

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る