たまがわ No.156 2020.7.1
5/24

所に入れて欲しいと面接に通ったが、どこも門前払いだった。しかし、またも幸運に恵まれ、1社が1人研究員を付けるから、明日からいらっしゃいと誘ってくれた。 それから10年、研究員や工場のスタッフと共に、ステンレス素材を師と仰ぎ、発色ステンレスの技術開発とその応用に集中し続けた。自ら決めたその丁稚奉公の10年が、自分を何者かに作り変え、力と視点を身に付けさせてくれた。その後の幸運の連続も、この10年の日々があってのコトだった。玉川の想い出・・・それは思春期 中等部には1年生9月からの途中入学だった。 中等部時代は私の人生で最も光り輝く日々であり、今でも多くの場面が昨日のごとく網膜に描かれる。心も体も変わる鮮烈な思春期。・・・恩師平山忠義先生のこと、親友設楽幸嗣君とのこと、級友のこと・・・“時は今”、まことの一期一会でした。見えていた日々のお互いの変容、赤裸々に見える世界や自然界への現実感が、思春期の終結と共に気化し不可視となる。思春期の密度が気化熱を発し粒子となり空に融け消える・・・時を経て再びそれが胎内に戻ってきたとき、それが私のエンジンとなった。心の形が大人へと再構成されるこの2年間が、その後の長き人生航路を決めてくれた。 この大切な時期、玉川は私という素材をそのまま受け入れ、様々な刺激を与え、自由とは何か、自由を続けること、他と共に融け合うことの基本となる感性を植え付けてくれた。これからの夢 地球の自然を創り、それを持続させている最も重要な化学作用は“光合成”だ。光合成は葉緑素を持つ植物にしかできない。葉緑素は薄い葉の断面にあり、まるで手品のように光を有機物に変えてしまう。植物は太陽から注ぐ光を食べ、大地から元素と水を食べ、体を作る。有機物を作ることのできない私たち動物は、植物からの酸素を含めての“お裾分け”で生かされ動き回っている。人間にとって光の世界に融け込むことは見果てぬ夢。憧れても 憧れても、動物である私達には到達できない。 私の夢もドンキホーテだとは感じているが・・・人間の創った、永遠に輝きを失わない白い光のステンレス・・・自然とサイエンスの間に生まれた金属、それに私は憧れ続けている。 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声    芭蕉 中学の修学旅行で出逢った俳句だ。このとき芭蕉は天回の大いなる閑さに自身が融けていた。だからこそ、その1つの天回する命の顕れ、騒がしい蝉の声も岩に沁み入いったのだった。思春期の心はその様に受信した。 今、70歳を超え、ほんの僅か感じている、光の天回、命の天回をステンレスでも鉛筆画でも銅版画でも描くことができればと思っている。後輩へ一言 なにか心に惹かれるモノやコトに出逢ったとき、それをとことん突き詰めてください。それが貴方の大切な視点、価値観になります。 人はすべて空に染まり繋がっています。そのネットは広大で果てが見えません。ただ一言いえるのは、貴方がそのネットの1つの大切な結び目だということです。 “私”という概念は麻薬だと思っています、“私”から間をおいて、広大なネットの引力から役割を見つめて下さい。結び目の役割は1つとして同じではありません。役割の先に個が見えてくることが大切と感じるこの頃です。梅園(藤村)真咲さん 高等部1990年卒株式会社cou 代表取締役建築デザインの専門家として住まいや店舗の設計・内装工事を軸にそれに付随する家具等インテリアプロダクトのデザインを手掛けている。仕事のこと 高等部卒業時点ではまだ将来の具体的な職業像がつかめておらず、学生時代は法律・国際政治・建築を勉強し、それらが交わったところに現在身を置くに至りました。 総合芸術と言われる建築は造形としての面白さに加えて、国政レベルあるいは私たちの日常レベルの政治経済の要素がベースとなってはじめて成立するものである点に面白さや難しさを感じてのめり込みました。また、表層的にそれらしく造形することはできるけれど課題をこなすうちに造形の核なるものがわからないことに気づき、当時明確な経済成長の目標を掲げ、独坂上 直哉さん作品「虹にそまって」5ALUMNI and ALUMNAE │ 活躍する卒業生

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る