たまがわ No.156 2020.7.1
9/24

ALUMNI and ALUMNAE │ 活躍する卒業生クマノザクラ河津桜染井吉野クマノザクラについて 2018年、紀伊半島南部に自生する早咲きのヤマザクラが新種のクマノザクラとして報告されました。オオシマザクラの種名が発表されて以来、100年ぶりの新種の発見となりました。 私たちが今まで見ていた3月中旬に山に咲く桜のほとんどがクマノザクラで、クマノザクラの標本木(タイプツリー)が古座川町内にあります。 古座川町内でのクマノザクラの開花は、河津桜よりも少し遅れて咲き始め3月中旬~下旬には満開になります。クマノザクラの花がほとんど散り終えたころ染井吉野が咲き始めます。花は少し小さめで淡紅色、花序柄は短く花数は染井吉野や河津桜は3個以上ですがクマノザクラは2個がほとんどです。葉柄や花柄は無毛。葉は長さ4〜8㎝で、鋸歯が粗く、幅も染井吉野などより小さいのが特徴です。開花時期が早く花が淡紅色で葉が出るよりも花が先に咲くことなどから染井吉野に代わる観賞木としても期待されています。玉川での思い出 「今まで育てていただき、支えていただいた学園の皆さまに感謝と恩返しの気持ちでクマノザクラを贈ります。」と武田さん。 紀伊半島南部古座川のほとりに広がる田園と緑の山に囲まれた環境で生まれ育ったので、農林業の仕事に就きたいと思い農学部を受験しました。たまたま親友の大野道夫君(機械72)も工学部を受験し入学が決まっていたので私も玉川に入学することにしました。 農学科の林学研究室で学び、卒業後は和歌山県林業技術職員として林業試験場に勤務しました。当時大問題になっていた「松くい虫」マツノザイセンチュウ病を主に森林保護を調査研究しました。その後和歌山県庁勤務などを経て2008年4月退職。2008年6月から2016年6月まで2期8年古座川町長を務めました。 「コンクリートの塀に囲まれたキャンパス、校舎のビルに囲まれたグラウンド」が東京の大学というイメージでした。玉川は学園を取り巻くフェンスが無く、幼稚部から大学の校舎が林の中に点在しており、一同がそこに学んでいる環境の良さに感動しました。校内では、四季折々自然のままの草花や木々の移ろいが楽しめました。春は春蘭やエビネが道端の藪の中で咲き、秋にはレイモンドヒルの林で袋いっぱいのアケビを取り、研究室で先生を囲んで食べたことを思い出します。 岡田一次先生の生物学は、天気の良い日は野外での授業がありました。校内を回りながらふと足を止め「この木は何ですか?」と聞いたので、私はすかさず「サクラ」と答えました。すると岡田先生は「サクラという木はありませんね。みんな名前がついています。オオシマザクラです。」サクラには多くの品種があるのを知りましたが、今まで私はソメイヨシノとオオシマザクラ、ヤマザクラ以外は名前の分らないサクラの花を見てきました。健康院と旧松陰橋の間にヤマザクラの大きな木があり夏前に熟れた実が道路にいっぱい落ちていました。空手部(和道流)の練習の時、素足でその実を踏んで走ったことを思い出します。後輩へ一言 正門の玉川池に建てられている創立者 小原國芳先生の言葉「人生の最も苦しい いやな つらい 損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」今まで仕事に携わってきた中で困難に出くわした時、ふとこの言葉を思い出し心の支えにしてきました。 卒業校を母校といいます。卒業生を温かく迎え入れてくれる母のような学園であると感じています。在校生の皆さんは國芳先生から受け継がれてきた教えをしっかりと受け止め、巣立ってほしいと思います。 町長退任後の今、古座川町のご自宅で晴耕雨読の生活とか。5月の連休には田植えもされ自然豊かな土地で心豊かな生活を楽しまれているように思いました。 古座川町は紀伊半島南方の山間部に位置し、林業が盛んな町。 奥熊野ともいわれ天然記念物や文化財にも指定されている貴重な自然景観や、山と川の幸、大自然を思う存分に体感できるカヌー体験やトレッキングなど楽しめる観光スポットもあります。9

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る