たまがわ No.159 2023.7.1
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文学部英米文学科理財専攻1982年卒様々な業界に大打撃を与えた新型コロナウイルス感染症。 今も戦いが続いている飲食業界のリーダーたちにコロナ禍の振り返りと、ポストコロナに向けた取り組みについて 伺いました。髙岡 もう忘れました(笑)。営業は継続したものの、事態が進むにつれ考え方をシフト。コロナは病気なのだからと、流れに逆らうのをやめました。宴会が動かなかった半面、通販の売り上げが4倍くらいに延び、対応のため人員配置を考えました。取材・文:塩井美智代(文学英米1988)人形町 今半 代表取締役社長明治28年、牛鍋屋として開業。その後、すき焼き屋へと変革を遂げ、代を重ねながら分店していく中、1952年に人形町に出店。1956年に独立し、今日に至る。飲食店・小売店の他、弁当・ケータリング事業等を展開6 何より、従業員を守り、不安感を持たせないように給与は確保しようと努めました。長期化するとは思わなかったので、従業員のためにできる対策を講じていました。社内にミシンを持ち込み、入手しにくかったマスクを作成して従業員や町会の高齢者向けに配付し、とても喜ばれました。 業界の代表としても、矢面に立って助成金や賃料値下げについて働きかけを行いました。大嶋 当時は、ホテル内の店舗は営業続行、百貨店内は休業と全店舗の半数程度が休業となりました。どの程度状況が長引くか考え、早め早めに動きました。都区内、また県によっても対応が異なったため、関係各所への確認作業に苦労しました。できる限りの手を尽くして企業、社会的保障の面から、何とか従業員の生活の確保に努めました。 店舗の賃料などについて、柔軟に対応してくださる所とそうでない所の差がはっきり出て、世知辛い世の中だなと感じたのが本音です。陳 四川飯店は祖父や父の代から現場優先でやってきましたので、コロナ流行の前から店舗の貸主との関係が統一されていないことを認識していました。2019年に、労働環境改善に向けて右腕となる人材を約10名集めて合宿を行ないました。当社は非常に厳しい縦社会なので、ルール構築、残業問題の解決やバラバラだった連絡網など、ツール構築を開始したところでコロナの流行が始まりました。 助成金を申請したくてもベースとなるデータが残されておらず、基本のデータをひとつひとつ集めるという地道な作業から始めました。 コロナに罹患し、味覚が戻らず離職した料理人も出るなど厳しい中で、スタッフと協力して業務フローを作り、労働環境を改善して、協力体制を構築するという目標のために乗り切ってきました。 そのような時でも、父は広告塔となって活躍してくれて、私が事務的な作業に専念できてよかったです。髙岡 損益分岐点が高いだけ大変です。感染拡大防止協力金は企業毎に給付されていたため、規模の大きな企業にとっては十分ではありませんでしたが、コネクションを駆使して政府に働きかけた結果、協力金対象が各企業から店舗ごとになりました。陳 一等地に店舗を構えさせてもらうと固定費がかさむので大変です。大嶋 賃貸料や従業員の給与など億単位の資金が必要になります。そのための売り上げを確保しなければなりません。髙岡 家賃の値下げ交渉のため、「怒らない、冷静な」交渉人を選出しました。また、定休日を作るという新たな取り組みにチャンレンジしました。陳 ホテルの店舗は24時間365日稼働していましたが、労働環境改善のため、定休日を作りたいとホテルに掛け合いました。ルームサービスは今まで通り対応するということで定休日を確保しました。従業員のシフトを調整して定休日を確保しています。髙岡 非常に厳しいですが、チャンスだと思います。この3年で多くのアルバイト従業員が辞めていきました。今も人員が戻ってきていません。人手不足の対策の一環として毎週定休日をいただき、それが叶わない部門には応援体制我ら玉川っ子 │ 活躍する卒業生髙岡 慎一郎さん コロナ禍の苦闘多店舗経営の飲食店ならではの悩み5類に移行後の外食産業飲食業界を牽引する リーダーたち

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