奥様へ一言大川さんのこれからの夢読者のみなさんへ我ら玉 川っ子 │ 活 躍する卒 業 生大学時代について馬術の魅力パリパラリンピック出場へ向けてたいと思っています。7月上旬に日本障がい者乗馬協会(JRAD)から、日本代表選手が発表される予定です。 12年ほど前、わたしが余命わずか6か月と言われたとき、妻から大切な肝臓を分けてもらいました。そして、8年前に国の指定難病の「封入体筋炎」と診断されてからパラ馬術競技へのチャレンジが始まりました。これまでどんな時でも、いやな顔せず支えてくれ、一人での渡航が困難なヨーロッパへの遠征にも帯同してくれています。滞在中の生活全般のことはもちろん、トレーニングや競技会のときには慣れないサポートもしてくれ、言葉に表せないほど感謝しています。わたしの挑戦が続いていく限り、そばで支えてもらいたいと思っています。 まず一番の夢は、パリパラリンピックに出場し、表彰台に立つことです。さらに、2年後には世界選手権大会、4年後にはロサンゼルスパラリンピックが開催される予定なので、筋肉の病気の進行のことも気がかりではありますが、愛馬に乗り続けることができる限り、夢の舞台へのチャレンジを続けていきたいと思っています。そして、このチャレンジが世界との架け橋、日本のパラ馬術競技の普及、発展へとつながることが夢です。 会報が発行される頃には、パリパラリンピック日本代表が発表されています。わたしたちチームの夢がかなうことになっているかどうかわかりませんが、人生、never give upの気持ちでチャレンジをしていけば、必ず素敵な出会いが待っているはずです。支えてくださる方、応援してくださる方など、気がつかないうちにたくさんの仲間がふえていきます。その先には夢の実現が待っているかもしれません。どんなことでも良いです。どうかご自身の目標、あるいは夢をあきらめないでチャレンジを続けていきましょう。代表選考結果は学友会ホームページでお知らせいたします。大川さんの挑戦にご支援くださる方は、こちらのアドレスまでご連絡をお願いいたします。penangjun@icloud.com 印象に残っていることはたくさんあります。塾生活もその一つです。大学生活でこれほど集団生活を大切にする大学がどこにあるだろうかと思ったものです。この塾生活を通して社会での重要な協調性の大切さを学ぶことができました。次に、玉川の全人教育です。全人教育の究極は人が自分らしく生き生きと豊かな人生を歩んでいくことを求めているのではないか。その教えが今につながっています。創立者・小原國芳先生の好きな「夢」という言葉がありますが、わたしの人生は、まさにこの夢に向かってずっと続いています。 今でも忘れられないのは、当時所属していた馬術同好会を体育会に認めてもらえるようにと、4年間同好会の仲間と苦楽をともにしたことです。最終的に夢かなうことはありませんでしたが、2年生時には、学園の農学部の元畜舎をお借りし、多いときは3頭の馬を部員のみんなで世話し、草地をOBの方のご協力も得て開墾し、馬の運動ができるスペースを確保して練習に励んでいたことは良い思い出です。 馬術をはじめたのは、子どものころから馬が好きで、ずっと馬に乗ることにあこがれていた少年だったということがあります。馬術は唯一動物とともに競技するスポーツです。それだけに難しさもあるのですが、その難しさを克服して愛馬とともにゴールした瞬間、あるいは演技をやりきったときの達成感は何物にも代えがたいものがあります。愛馬とともに喜びを分かち合うことができる競技はほかにはないと思います。 パラ馬術に転向してから約8年、なかなか結果を残すことができず、今日まで何度も心が折れそうになることがありました。しかし、ちょうど1年前、人生ではじめてトレーニングに行ったドイツで、すばらしい馬とすてきなトレーナー、スタッフの方々との奇跡的な出会いがあり、このチームでパリパラリンピック出場の夢の実現に向けてのチャレンジがスタートしました。今年4、5月に国際大会に出場、6月から再びヨーロッパでの国際大会に出場し、この大会で国内ランキング1位をめざし、日本代表切符を手に入れ2019年3月まで教壇に立つ。2012年に肝臓がんを患い生体肝移植を 受ける。2017年には「封入体筋炎」と診断。 筋肉が衰えていく不安のⅠクラスでパリパラリンピック出場を目指します。大学卒業後、鳥取県へ戻り小学校の教員となる。 子どもとポニーが触れ合う広場を立ち上げる。 ポニー先生として馬術競技で国体へも出場。中パラ馬術を知り、パラ馬術競技にチャレンジすることを決意。 競技は、障がいの程度によりグレードⅠ~Ⅴに分かれ、大川さんは最も重いグレード 4大川 順一郎さん(文学部教育学科1982年卒)
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