和菓子作りの発想はどこから?という質問に、「食事の時もこれは使えるかなとか、こうしたいなといつも考えている」と、和菓子を愛してやまない、伝統文化を継承しながら前進し続ける6名の玉川っ子が青山の『紅谷』さんに集まってくださいました。今江 幼稚園の教師を目指していました。幼稚部に教諭の口があると言われ、幼稚園教諭から主任、大学講師になり助教授、教授となって、最終的には幼稚園の園長になろうと思っていました。ところが大学4年の秋、話がご破算になってしまいました。香港の幼稚園に就職しましたが、税金の高さで生活が困難と判断、1年半ほどで帰国しました。その後、親から誘われて店に入りました。細野 小学校と幼稚園の教員免許を取得したのですが、実習の時に、家庭環境の影響を受けている子供たちを見て、感情移入して考えてしまい、教師にはむかないと思いました。そして家業に就くことを決めました。高橋 社会科の教師や歴史の研究をしたくて大学のゼミでは日本史の研究、教育実習にも行きましたが、担当の先生から君は職人向きだと言われました。父にこの話しをしたら、うちに来ないか?と誘われ、この業界に入り、和菓子の学校に通い、訓練を受けました。井田 中学時代から工場の手伝いや、店のバイトで慣れてはいましたが、入社後は非常に厳しく、一度退職しました。別の業種に就きましたがバックグラウンドがないため、自力で頑張るしかありませんでした。その後、実家の店を閉めるかもしれないという時に店に戻りました。入社後2年銀座あけぼの細野(植草)佳代さん(文学部教育学科1986年卒)菓子司 玉英堂彦九郎今江 康人さん (文学部教育学科1989年卒) 今江 將人さん(経営学部国際経営学科2017年卒)我ら玉 川っ子 │ 活 躍する卒 業 生家業を継いだ経緯和菓子の店をやって東京都中央区日本橋人形町2-3-2 玉英堂ビル 1F TEL:03-3666-2625定休日:不定休https://gyokueidou.com/取材・文:塩井美智代(文学英米1988)▲写真左から 赤坂塩野 高橋さん 銀座菊廼舎 井田さん 銀座あけぼの 細野さん 玉英堂彦九郎 今江さん親子 青山紅谷 青木さん東京都中央区銀座5-7-19 TEL:03-3571-364010:00~21:00(月~土) 10:00~20:00(日・祝)https://www.ginza-akebono.co.jp/6くらいで社長交代となり、現在に至ります。青木 高等部の恩師に玉川以外を経験するよう勧められ、成城大学に進学しました。当時から飲食系に興味があり、東南アジアに和菓子を広めることが夢でした。尊敬している方から、寄り道せず修行に行けと勧められ、店に入りました。今江(將) 家業を継ぐものだと思っていましたが、幼稚園の教諭になる希望もありました。教育学部か経営学部か悩み、経営学部を選んだ時は、まだ家に入る決心はついておらず、卒業後は自宅の近くの明治座に就職、家業と客層が似ていることもあって、勉強になりましたが、祖父が体調を崩したのを機に、家業に入ることを決心しました。青木 昨年、店を移転するタイミングで工場と店舗を一緒にしました。オリジナル菓子や、お茶会や企業からの依頼など、お客様の声を直接聞けるのが楽しいです。今江(將) まだまだ半人前で、お菓子のことを学ぶために、必死にやっているだけです。細野 今は、職人との闘いですが、自分の希望を超えるお菓子を作ってもらえた時が非常に嬉しい時ですね。多くの職人がおりますので、最初の頃は職人のリーダーとのやり取りがとても大変でした。今は分かり合えてうまくやっています。高橋 お茶会などで新作を作ってほしいと言われると、みんなで知恵を絞り合い、膝を突き合わせて話し合うのがとても楽しいです。老舗和菓子屋を継ぐということ
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