たまがわ No.160 2024.7.1
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銀座 菊廼舎井田 裕二さん(文学部国際経営学科1998年卒)青山 紅谷青木 龍之介さん(高等部2013年卒)我ら玉 川っ子 │ 活 躍する卒 業 生辛いことは玉川の想い出将来の夢東京都中央区銀座5-9-17 銀座あづまビル1FTEL:03-3571-4095 定休日:水曜日https://www.ginza-kikunoya.co.jp/東京都港区南青山2-17-11 TEL:03-3401-3246定休日:月・火曜日https://beniya-aoyama.jp/東京都港区赤坂2-13-2 TEL:03-3582-1881定休日:日曜日https://www.shiono.net/7井田 幼稚部から玉川に通い、労作などもあったので、店の掃除にも抵抗ありません。勉強ばかりに偏らず、バランスのよい教育が受けられたので、頭でっかちにならずに成長できたと思います。今江 学園が広いので、毎日が遠足みたいだったなと思い出します。自然が豊かなので、高等部の時、潰れたハチがカバンに入っていたなんてこともあります。今江(將) 先生とのいい思い出です。高等部の2、3年の担任が持ち上がりだったのですが、とてもフレンドリーで、普段も生活を共にしたり、友達みたいな間柄でした。青木 玉川学園はとてもおっとりした雰囲気でした。玉川の外に出て、玉川の環境が特別なものだと気づきました。先生や友達と近い距離で過ごせるのがいいと思います。細野 幼稚部に通っていましたが、このまま玉川にいるよりはと親に外部に出されました。高等部で玉川に戻ってきた時、居心地がよく、友達もたくさんできて毎日楽しかったです。歌をたくさん唄うので、玉川学園に通っていた兄弟と讃美歌を歌ったり、輪唱したり、楽しい思い出しかありません。高橋 中学部時代に、校舎の引っ越しがありました。机やら椅子やらを運んだのがいい思い出です。先生たちも個性が強く、先生方との関係性が懐かしいです。高等部でも大学でもみんな仲が良く、多くの輪が広がりました。玉川時代の友達が、今でも店に来てくれて、とても嬉しいです。高橋 和菓子屋になったら、和菓子屋で生きるしかない。決めたら覚悟を決める。です。細野 もっとおいしくできないかなと、ずっと考えています。また、従業員に楽しく働いて欲しいです。青木 国内はもとより世界で和菓子を食べてもらいたい。世界を旅して、現地のお菓子を食べたいです。今江(將) 子供達に食べて欲しいといつも思っています。高校生の時に南アフリカに行くことがあって、うちのお干菓子をあげたら、ものすごく喜んでくれました。輝く白い歯の笑顔を今でも忘れません。今江 50代の今がお菓子の創作期だと思っています。後輩たちには好きなことを夢に持って、頑張って欲しいです。井田 経営者としては、労働環境や財政環境を整えたいです。後輩達には辛ければ逃げてもいい、でも逃げなければ見えるものもあるということをわかって欲しい。勉強だけでなく、さまざまな場面で頑張ってください。今江 ライフワークである能の演目に合わせたお菓子を作ったり、日舞のお客様からのリクエストなど、お客さまとお菓子を作り上げていくのが嬉しいです。お褒めの言葉をいただけると、やりがいを感じます。 玉川の同級生からの依頼で湘南白百合学園の小学校で年一回、和菓子作りを教えています。甘いものを食べて無条件で笑顔になるならば、それ以上のことを提供したいと考え、楽しんでやっています。井田 店舗で菓子を作っているので、実際に見て、『すごい!』と言ってもらえると嬉しいです。みなさんが甘いものを食べて、笑顔になってくれるとやる気が出ます。井田 みなさんが休んでいる時が稼ぎ時なので、基本的に休みがありません。今の時代、それでは従業員が入らないので、環境を変える必要があると思っています。機械化などを進めながら、模索し続けています。また、できないことは“やらない”勇気も必要で、工夫しながら対応しています。今江 父は頭が固く、息子も修行中なので、時にイライラしてしまったり、家族であるが故に良くも悪くも感情が出てしまったりすることがあります。細野 苦労と言えば、父親との関係です(一同うなずく)。新商品を作って見せたら投げつけられたこともありますが、弟(植草英一郎さん・高等部1990年卒)も地方の工場で頑張っているので刺激を受けます。今江(將) 父と祖父の両方から言われることです。反省しないといけないのですが、苛立つこともあります。思うように自分が動けなかったり、祖父も(高齢なので)動けなかったりすると、父が苛立っているのを感じます。それでも半人前なので、何も言えないことに余計ストレスがたまってしまいます。青木 父との葛藤はあります。ただ、葛藤がないと前進できないと思います。父も祖父と葛藤がありましたが、私に対しては割と寛容だと思います。細野 今年の初めに父が引退しました。今までは、父の望む方向性と自分の希望が離れている時に、大きな葛藤がありましたが、今はなくなりました。従業員を育てながら、自分も育てられている気がします。高橋 父とはご多分に漏れず、喧嘩ばかりです。職人たちは父と私が喧嘩している部屋に入るのを嫌がるほどです。父は今も元気で、ようやく行動や発言を許してくれるようになりました。赤坂 塩野高橋 和秀さん(文学部教育学科1994年卒)

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