会員より

牧 佑弥さん(教育学部教育学科2018年卒)より Vol.4

 先日で世界一周の旅に出て400日が経ちました。この100日間では、アフリカ大陸の東側を北上し、中東のヨルダン・イスラエルを旅してきました。今回は「エチオピアの過酷な環境で生きる子供達」と、現在難しい問題に直面している「イスラエルのガザ地区」を訪れた時のことをご紹介したいと思います。

【過酷な環境で生きる子供達】
 エチオピアでは、首都のアディス・アベバからエリトリアの国境近くのダナキル砂漠という場所に向かいました。途中の道では、暑さのせいでバーストした水輸送のトラックを発見したのですが、次から次に現地民が現れて水を強奪していき、世紀末のような世界でした。

 ダナキル砂漠の近くの村のレストランを訪れた時には、次々に現地の子供達が寄ってきました。これまで様々な貧困地区に足を運んで来ましたが、大体の子供達は開口一番に「マネー!チョコレート!」などと言い詰めかけてくる状況が普通でした。ただ、ここで出会った子供達は開口一番に「ペン!ペン!」と言い寄ってきたことに驚き、勉強したくても勉強する環境・道具がない世界を改めて目にしました。

 次の日の移動では、砂漠の中で車がスタックし車が動けなくなりました。すると次第に、車内にある水を求めて、この辺りに住む十数人の子供達が車を囲みました。我々には、ライフルを持ったセキュリティがついていたのですが、そんなセキュリティに慄くこともなく、生きるための飲み水を得るためにここまで必死の形相で、車のガラスを叩いて訴えてきていました。この子達の必死の表情・体つき・着ている服などから、いかにここでの暮らしが大変なのかを物語っていました。

【現在のガザ地区】
 イスラエルでは、首都のテルアビブから約50km南にあるガザ地区に向かいました。そこを訪れたかった理由は、この難しい問題に直面している時代を生きる人間として見ておくべきだと思ったからです。

 テルアビブからガザ地区の最寄りバス停までは、公共交通機関を使って3回の乗り継ぎで1時間半ほど。そこから約4km先にあるイスラエルとガザ地区の国境である「エリッツ・チェックポイント」までは歩くのですが、車はおろか人など歩いておらず、走っているのは軍用車のみでした。

 チェックポイント約900m手前地点には、撃ち終わった後の薬莢がそこら中に散らばっていて中には弾頭が残ったままのものまでありました。その後、チェックポイント約500m手前地点で、軍の方々に声をかけられましたが、私は通行許可証などは持っていないため、ガザ地区の中には入ることはできませんでした。しかし、その地点であっても、乾いた銃声から迫力のある銃声まで2.3種類の銃声がずっと鳴り続けていました。

 このような状況を実際に見てきて、私は「自分自身の人生を自分で決められることができる幸せ」を考えました。

 今回見てきた彼らには、勉強するためのペンがない。生きるための水もない。生まれたその地から出ることもできない。
それに対して私たちは、勉強するためのペンはあるし、生きていくための水もあるし、自由に移動できるし国も出ることができる。

 恵まれた国に生まれた事に感謝しつつ、時代、環境、周りのせいにすることなく、生きていこうと思いました。

 まずは、いまこの世界で起きている世界を自分の目でしっかりと見て、経験として積み重ね、自分の言葉で伝えられるように旅を続けていきたいと思います。


バーストして水を強奪されていったトラック


銃を持ったセキュリティがいる中で水を求めてきた子供達


ガザ地区を隔てるエリッツ・チェックゲート


ゲート付近に散らばっていた薬莢

ブログ

Instagram

一覧へ戻る