会員より
牧 佑弥さん(教育学部教育学科2018年卒)より Vol.5
【2024年7月10日時点のウクライナの状況】
先日で世界一周の旅に出て500日が経ち、この100日間ではアドリア海から東ヨーロッパを時計回りに旅し、トルコ→ジョージアと東欧諸国・西アジアの17カ国を旅してきました。
今回は2022年2月ごろから続くロシア侵攻による戦争が始まったウクライナを訪れた時のことをご紹介したいと思います。
この状況のウクライナに入ることには迷いはありましたが、将来教員になる身として現実を知らなければいけない気がして入る事を決めました。
まず、ウクライナの首都のキエフまでは、ポーランドの首都のワルシャワから「キエフエクスプレス」という寝台列車に乗って18時間かけて向かいました。キエフの駅に到着してまず目にとまったのは真っ黒焦げになり今やゴミ箱と化している車。宿に到着すると、宿にはシェルターが完備されており、至る所に止血方法をはじめとする緊急時の応急処置の掲示板がありました。また、計画停電に加えて頻繁に停電が起きていました。私が滞在していた三日間の間、約一時間半に一回は空襲警報も鳴り響いていました。
2日目は、私が到着する2日前に空爆を受けた「オフマディト小児病院」を訪れました。入ってすぐのところには、病室にあったと思われる医療機器やベッド、机。大急ぎで運ばれたと察するそれらがそのまま置いてありました。空爆から2日間が経過したこの日、病院には各国の取材陣や、亡くなった方々を追悼するための牧師さん、瓦礫撤去のボランティアの方々などが数多くいらっしゃいました。
着弾地点を向いているメイン棟のガラスは、全て割られており、ベニヤ板を使っての応急的な補修がされていました。そのそばにあった車は原型を留めていないほどにペシャンコになり、周りには黒焦げの木。
敷地案内板や周囲の建物の壁にも破片による傷が多数あり、破片が飛んできただけでも凄まじい威力だったという事がひと目でわかりました。
撃つ側はスイッチひとつでロケットを発射するのでしょうが、それを受けた方はたった1発でこの有様になってしまう現実に衝撃を受けました。
3日目、4日目は、この戦果にも関わらずバレエとオペラが開催されている事を知りチケットを購入しました。
外では空襲警報が鳴り響いているのにも関わらず、普通にコンサートが行われているという状況でした。
今回のウクライナ訪問を通して私が感じたことは、彼らは、戦争と共存していくしかない日常を送っているということ。空襲警報が鳴り続いているにも関わらず、普段通りの生活を動かしているということに、「たとえ戦争が身近にあったとしても、私たちは屈せず普通の生活を送っていく」というような強いメッセージにも聞こえました。表現の仕方は、難しいですが、長い歴史の中で何度も戦争を体験してきたウクライナ人の祖国に対する愛のようなものを感じました。
ウクライナは本来は芸術あふれる美しい国です。
一刻も早い終戦を心より祈ります。
ウクライナの国旗を表す青空と満面のひまわり畑
緊急時の応急処置の掲示板
車は原型を留めていないほどペシャンコになった車
爆撃されたオフマディト小児病院
バレエの公演
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